2015年03月08日

『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』3

『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』その3

観てからかな〜り時間が経ってしまったけど、レビュー書きます。『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』。今回は研究員Bのレビューです。
「その3」としましたが、「その1」「その2」にあたるのは、通常のレビューとはちょっと違うけど、研究員Aが書いた「植民地台湾という観点から『KANO』を考えてみた その1」「同 その2」です。ぜひそちらもご一読を!

まずは基本情報を:

『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』
導演 / Umin Boya (馬志翔)
演員 / 永P正敏、大澤隆夫、坂井真紀、伊川東吾、曹佑寧、葉星辰、張弘邑、鐘硯誠、謝竣晟、謝竣u、陳勁宏、大倉裕真、山室光太朗、飯田のえる、鄭秉宏、蔡佑梵、魏祈安、陳永欣、周俊豪、于卉喬 (喬喬)、連奕g、游安順
wikipedia(中文)臺灣電影後浪潮果子電影Facebook
日本公式サイト

予告編はこちら。中文版を貼っておきます。といっても日本語版・中文字幕版みたいなものですが。




観た直後にツイートしたのは、以下のような内容でした:

「『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』、観ました!う〜ん、奥行きを描くこだわりは見事なまでに皆無で、潔い(?)ソフトスポ根なエンタメ作品。野球のシーンに時間をいっぱい割くため、野球への関心が少なめの方はちょっと退屈するかも?(そんな人は観に来ないか)」

本作の場合、レビューといっても、以上のコメントに尽きるのが正直なところ。でもさすがにそれでは…というわけで、以下敷衍しようと思います。

映画としてみた場合、本作はただひたすらシンプルなエンタメ作品。いろいろ読み込める部分もないわけではないけど、深みのある何かを込めることがめざされた作品では基本的にない(少なくとも、そうしたことの優先度は高くない)と感じました。意図的であったか、「天然」であったかは定かではありませんが、何にこだわり、何にこだわらないかは明確だったと思います。

では、こだわっていたのは何か。それは間違いなく「野球」という点です。キャスティングにあたって野球経験があることを必須条件にしたとのことですが、かといって「リアルさ」が最重要視されたというわけでもなさそうです。こだわっていたのは、「野球シーン」を見ごたえのあるものにすることではないでしょうか。それも、リアルな野球の場面の再現というよりも、古典的な野球マンガのような、多少の戯画化もあるくらいの、エンタメ感に満ちた「野球シーン」です。映画の中で多くの時間が費やされる野球シーンの数々は、その長さ(!)や、球場のも含め、製作側の思い入れやこだわりを強く感じさせるものでした。『セデック・バレ』の戦闘シーンがそうであったのと同じように。

他方で、そうしたこだわりが感じられなかった点もありました。それは例えば、人物の造形や、人物の思いの複雑さや奥行きの描写です。近藤監督はともかく、一人ひとりの選手の思いの葛藤や機微が丁寧に描かれていたようには思えませんでした。アキラについてはまだ描き込みがあったけど、他の選手たちはかなり十把一絡げ状態(?)だったと思います。特に、一人ひとりの選手が、他の選手をどう見ていたのかについては本当に描かれてなく、その点は残念。

日本人と、漢人と、「蕃人」と…と言うのなら、日本人の選手は漢人の選手をどう見ていたのか、原住民の選手からはどうなのかなど、選手間の視線の交錯がどうだったのかが気になったのですが、そこを立体的に描くことにチャレンジはされていませんでした。異なる背景のメンバーによる混成チームということが、いくつかのポイントで強調されながらも、実際の「混成」の描かれ方は、個々の特徴が強調されることもなく均質になってしまっていたように思います。おかげで、特に嘉農が勝ち進んでからは、単にチームワークのいいチームだなあという感想(!)に終わりそうな面があったと思います。仲良し集団っぽさに、いかに戦う集団っぽさが加わっていったのか(その過程が、後者が前者を単に駆逐していくのではない、選手のメンタリティの変化によるものだったなら、具体的にどういう過程だったのか、その過程で選手に葛藤がなかったのか)などは、十分には描かれずじまいでした。

というわけで、エンタメ作品としては、シンプルにとっても楽しめる仕上がりだったと思います。しかし、あれこれ気になり始めると、どんどんいろんなことが気になってしまう…というところは否めず、面白かったけど、良くも悪くもやっぱりどこか軽いという印象でした。いや、いろいろ展開可能なポイントはあったと思うのです。研究員Aが描いたような学校間の関係やそこでの野球がもつ意味とか、北海道という、台湾とは違う意味でまたマージナルなところから甲子園に出場した選手の視点とか、嘉義代表であるというアイデンティティと、台湾代表であるというアイデンティティの重なりとずれとか。でもそういうところは彫り込まれないんですよね…。そういう意味で、自分はこの作品にはそれほど盛り上がりきれませんでした。

というわけで、レビューは以上。以下、参考までに、事実関係についての再確認をいくつか。まず、もう多々指摘されていると思いますが、八田與一が携わった嘉南大圳の完成は本当は1930年のことで、嘉農が甲子園で活躍した年(1931年)とは同じ年ではありませんが、映画ではタイミングがぴたりと重なるように脚色されていました。

あと、甲子園(当時は「全島中等學校野球大會」)の予選というと、いまの感覚だと、県内の多くの高校が参加して競うというイメージがあるかもしれませんが、この1931年の場合、台湾代表を競ったのは全部でわずか11校でした(嘉農は4勝して優勝)。ちなみにこの11校のリストは以下の通り(括弧の中は現在の校名)。このデータはあちこちに掲載されているけど、コンパクトにまとめていたのは、個人ブログですがここ。こう並べると、エリート校が多い中で、嘉農はちょっとタイプが違う学校の一つであることがよくわかります(研究員Aのエントリも参照:これこれ)。

台北一中(臺北市立建國高級中學)、台北商(國立臺北商業技術學院)、台北工(國立臺北科技大學)、台北二師(國立臺北教育大學)
台中一中(國立臺中第一高級中學)、台中二中(國立臺中第二高級中學)、台中商(國立臺中科技大學)
嘉義中(國立嘉義高級中學)、嘉義農林(國立嘉義大學)
台南一中(國立臺南第二高級中學)
高雄中(高雄市立高雄高級中學)

甲子園の出場校も、全部で22校でした。2回戦から出場した嘉農は、3勝して決勝に進出しています。規模の面では、地方大会だけでなく甲子園もまた、現在とはかなり違ったようです。こういう風に、事実を下敷きにしている物語ではありますが、実際に事実が描かれているわけでもなく、事実と言ってもいろんな点で今と異なる文脈のもとでの出来事だったことは、改めて頭に入れておいてもいいかも。

P.S. マンガ版の『KANO 1931海の向こうの甲子園』(魏徳聖・陳嘉蔚・陳小雅,宇野幸一・阪本佳代訳,翔泳社,2014)という本があります。映画のストーリーのマンガ版なのですが、読んでいるとマンガ版のこっちが原作で、それを忠実に映画化したのかと思えてきます(!)。この本には、巻末付録で文章がいくつか収録されていますが、その中の謝仕淵の解説「KANO 台湾野球の原点」は、その内容も、日本の植民地であったことをめぐる力加減も、興味深いものでした。この本、各選手のプロフィールやその後についても詳しく紹介しており、また映画で描かれている嘉農の試合の実際のスコアなど、データ面も押さえていて、その点もファンには注目かと。


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2015年02月21日

植民地台湾という観点からKANOを考える・2

植民地台湾という観点から『KANO』を考えてみた その2

『KANO 1931海の向こうの甲子園』を植民地台湾という観点から考えてみる、の2回目。1回目のエントリはこちら。今日は、台湾統治下における野球教育が意味することについて。

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さて、台湾における野球。当然、野球はもともと台湾で親しまれていたスポーツではない。というか、「スポーツを楽しむ」という土壌自体、台湾にはなかった。でも、これは別に台湾に特殊なことではない。江戸時代の日本にも、余暇としてスポーツを楽しむという概念はない。身体と共に精神を鍛える武道は、楽しみというよりむしろ修練。野球をどのようにプレーするかのノウハウはもとより、スポーツをどのように楽しむかという概念それ自体を、日本は明治以降、西洋から学んだことになる。

だから野球を伝える前に、運動やスポーツの新しい概念を日本は台湾に伝えた。ただ、スポーツを単に楽しむものとして日本が台湾に伝えたかというと、ちょっと違う。今で言う運動、スポーツという概念を伝える際に大きな役割を果たしたのは、公学校(台湾人向けの小学校)での「体操」の授業。その目的は、健康的な精神や身体を育むと同時に規律を教え込むことにもあったようだ(この辺について詳しくは、林勝龍「日本統治下台湾における武士道野球の受容と展開」を参照)。

規律? と聞いてもぴんと来ない人は、自分が体育の授業で受けた教育を思い返してみると分かると思う。集合、整列、前ならえ、行進…。そこで教えられているのは団体行動の基本。指導者の命令を聞き、その通りに集団で動く。競技を学ぶ時も、ルールやプレイの仕方そのものに加えて、ズルしないとか、負けてもふてくされないとか、そういう集団の中での決まりごとが身体に叩き込まれる。そもそも学校生活って、こういった集団のルールを学ぶ場所として重要なわけだが、体育の授業ってそれを身体に覚えさせるという意味では一番、効果的なのかもしれない。

植民地統治下という特殊な環境の中では、体育のこういった側面はとりわけ重要になる。指導者の言うことを聞いて、その通りに動く集団を創り出すことは統治の要。当時の教育行政に携わった人や教育現場にいた人が、どれだけこのことを意識していたかは分からない。だけど、新しい運動・スポーツの概念を伝えることが、新しい規律を人々の身体に叩き込む効果を持ったことは確かだろう。

だから、台湾に野球が伝わったのも、こういった「運動」「スポーツ」をめぐる文脈の延長上にあることは意識しておいても良い気がする。もちろん、こういった統治側の意図が台湾野球の全てと言ってしまうのも乱暴だろう。競技のワクワク感、楽しさも野球が普及する要因の一つであったとは思う。でも、そういった楽しみも、ワクワク感も、植民地という「場」に制約されていた面があったことは確か。前にあげた林論文を読むと、原住民教化に野球が使われた例もあったようだし(第三章「原住民アミ族の「能高団」チーム」参照)。

スポーツは国境を越えると、私たちは信じている。スポーツマンシップは言葉を超えると思っている。だから、みんな、オリンピックやワールドカップに熱狂するし、感動するのだろう。でも、植民地下でのスポーツマンシップが国境を越えていたのかは微妙。上の人間の言うこと聞き、みんなで協力し合い、勝手な行動はとらない。ルールに従う。負けても受け入れる。そういったスポーツマンシップは普遍的であると同時に、統治者にとって好都合。日本の高校野球に見られる上下関係、チームプレイ、精神主義は、とりわけ皇民教育と親和性が高い。だとすると、甲子園に出る「三民族協和」のチームは、日本式チームプレイを身に付けた植民地の優等生、という見方も可能になる。そしてそこに日本人の観客が喝采を送るのは…、やっぱりちょっと倒錯してる気がしなくもない。

もちろん、そんなごたくは差し置いて、嘉農ナインは正々堂々と、まっすぐに戦っている。そのことに感動するのは自然なことだと思う。でも、それと同時に、統治者側に連なる甲子園の観客が、更にその観客に連なる自分が、甲子園の外側にある「格差」や「教化」の現実を忘れ、ただただ喝采し、感動の涙を流しておしまいにするのは驕りじゃないかしら。『KANO』を楽しみながらも、そんなことを思って正直、複雑な気持ちになる。

たぶん、近藤監督にこういった統治者側の意識はなかったと思う。彼は良い意味でも、悪い意味でも野球バカで、野球以外のことは考えていない。逆に言うと、野球に夢中だったからこそ、彼は当時の常識だった日本人と台湾人の格差を軽々と飛び越えることができたのだ。ただ、野球が終われば、部員たちはまた格差の世界に帰っていく。それは当然のことだから、当事者たちは意識しない。でも、私たちは知っている。甲子園で実現する「民族の協和」は一瞬の夢に過ぎないからこそ、彼らの汗と涙は感動的。一方で、そのあまりの儚さに、むしろ痛切な悲哀を私は感じてしまった。

『KANO』は娯楽大作だし、感動的な話でもあると思う。でも、感動のポイントをどこに持ってくるかで、映画の印象も大きく変わる。望むと望まないとに関わらず、私は「日本人」としてこの映画に向かい合わねばならない。だから、これはただの感動物語として捉えられないな、という痛みが最後まで残った。こういった私の感覚・見方を他の人に強要するつもりはない。だけど、映画の外側にあるはずの植民地の状況に、少なくとも日本人の観客としてはもう少し注意を払っても良いのかなと思う。でないと、格差を当然のものとして受け入れながら「三民族協和」に都合よく喝采を送る当時の観客と同じことを、また自分たちもしないとは限らないから。



レビューは以上。ちょっとだけ補足を加えると、日本統治期台湾の野球についてはちゃんとした研究が出ているので、興味を持った方にはそちらもお勧め。私は、林勝龍「日本統治下台湾における武士道野球の受容と展開」謝佳芬「台灣棒球運動之研究(1920〜1945年)」を拾い読みしたけど、どっちもとっても面白かった。素晴らしいことにどっちもネットでダウンロードできる。それでも時間のない方は、林論文の第三章「原住民アミ族の「能高団」チーム」が抜群に面白いので、そこだけでもどうぞ。嘉農を見る目が確実に変わります!


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2015年02月20日

植民地台湾という観点からKANOを考える・1

植民地台湾という観点から『KANO』を考えてみた その1

『KANO 1931海の向こうの甲子園』を見てきた。

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その後すぐにレビューを書こうとして、書き始めたら色々気になって調べ始め、そしたら段々長くなり、結局、二週間を経てやっと完成。映画そのものレビューというよりも、映画の背景にあるものをあわせて見ることで、この映画をどう捉えられるか? という話になった。もし、まだ映画を見ていない方は、映画を見てからこちらを読んでください。その方が、「一粒で二度美味しい」になるかもしれないので(ならなかったらスミマセン)。

というわけで、以下、レビュー。長いので今日と明日、二回に分けて掲載。





よくできた娯楽映画だった。皆が馬鹿にする弱小チームが、名監督を得て生まれ変わるというクラシックな筋書きを、忠実に再現。その過程で生まれる友情とか、夢とか、希望とかもきちんと盛り込み、決して枠から外れない。観客の期待を絶対に裏切らない「様式美」は、ともかく安心して見られるし、楽しめる。見終わって嫌な気持ちが一切残らないところも、娯楽映画として優秀。

一応、日本統治下の台湾とか、その中での「民族協和」とかも出てくるけど、そういった要素は基本的にBGM。「弱小チームの逆転劇」という筋書きに色を添える程度のもの。歴史的背景の描きこみを期待している人は、がっかりすると思うので見ないほうが良いと思う。だって、これは娯楽大作。そういう細かいこと、複雑なことに時間を割いていたら、すかっとした逆転劇や、夢や努力のきらめきが薄らいじゃう。ただただ楽しむ映画と割り切って見る方が盛り上がる。

しかしそうは言っても、「社会」に関心のあるおきらく研。「日本統治下の台湾」という舞台設定である以上、映画の外側にあるものの方にどうしても関心がいってしまう。というわけで、「嘉義農林の「民族協和」を日本統治下の台湾から考える」ということをやってみたい。

まず、嘉義農林という学校について。嘉義農林は1919年、第一次台湾教育令が発布された年に設立された。第一次台湾教育令って、日本統治下の台湾で初めて教育制度を体系的に定めたもの。嘉義農林は、初等教育である公学校(日本では小学校にあたるもの)6年間を卒業したら進学できる中等教育機関として設立された。今だと甲子園=高校野球、というイメージがあるけど、それよりは少し年齢低めで中学生に近い感じ。

ところで、この時の教育制度で注意しなければいけないのは、日本人と台湾人で行く学校が完全に分かれていること。初等教育も、日本人は小学校、台湾人は公学校と別の学校に行く。公学校も漢人と原住民では分かれている。小学校・公学校の後に進学する中等教育・高等教育も、日本人と台湾人で分けられている、といった具合。嘉義農林は、こういった事情の中、台湾人向けの中等教育機関として設立された。だから、設立当初、日本人学生は嘉義農林にいなかった。

ところが、第一次台湾教育令が出た3年後の1922年、第二次台湾教育令が出て、日本人と台湾人を分離していた教育制度はあっさり廃止になる。教育制度は台湾人・日本人共通のものに一本化。学校も基本的に共学化。共学と言っても男女共学ではなくて、台湾人・日本人共学ということ。初等教育の公学校・小学校は相変わらず、日本人、漢人、原住民で分けられていたけれど、中等教育以降はすべてが台湾人・日本人共学になった。

で、ここからが興味深いところなのだけれど、この改革によってすべての教育機関で「民族融合」が進んだかと言うと、答えは「No」。弘谷多喜夫・広川淑子「日本統治下の台湾・朝鮮における植民地教育政策の比較史的研究」によると、もともと日本人向けだった学校では日本人学生数が多数のままだったし、台湾人向けだった学校では台湾人学生が多数のまま引き継がれる。

嘉義農林はもともと台湾人向けに設立された学校。だから、映画『KANO』の舞台となる1931年には共学にはなっていたものの、台湾人の学生が圧倒的多数を占める多い学校だった。実際、オフィシャルサイトの解説によると、ある年の嘉義農林の入学者の内訳は日本人20%、漢人75%、原住民5% 。映画の中で「日本人のいないチームに野球ができるのか」と近藤監督が馬鹿にされるシーンがあるけど、嘉義農林が日本人だけで強いチームを作るのは、学生数から考えるとかなり厳しかったことになる。

ちなみに、映画序盤でライバルとして出てくる嘉義中。これは中学校で、実業学校の嘉義農林とは別ジャンルの教育機関。どちらも公学校・小学校を卒業してから進む中等教育機関ではあるのだけれど、中学校はその後、より高度なことが学べる専門学校や、高等学校へと進学することが可能。高等学校を卒業すれば大学に進めるので、同じ中等教育機関でも、それ以上高い学歴への道が開かれていない実業学校とは歴然とした格の差があったことになる

そう考えると、嘉義中 vs 嘉義農林が反目しあうのは、一流エリート校の学生 vs 二番手校の学生が反目する図、とも考えられる。映画の中でも嘉義中が嘉義農林を小馬鹿にした態度をとるけど、それはただ野球が弱いからだけでなく、こういった学歴の差があったからかもしれない。そして、そういう格の差があったからこそ、野球で嘉義中の鼻をあかすことがいかに嘉義農林の学生にとって爽快だったかということも分かる。

ここで更に注意が必要なのは、エリート校と二番手校の格差は、日本人/台湾人の格差でもあったこと。前にあげた弘谷・広川論文によると、日本人向け教育機関と台湾人向け教育機関が二本立てとなっていた時期、後者は前者より一段低いレベルに留め置かれていたという。だから大学という高等教育への道が開かれている中学校は、もともと日本人向け教育機関だったものが多い。第二次教育令が出て共学化が進んでも、こういった学校は、やはり圧倒的に日本人学生の数が多かった。こう考えると、台湾人が多い二番手校・嘉義農林 vs 日本人が多いエリート校・嘉義中のライバル意識という見方もできる。

こうやって見てくると、当時の嘉義農林がどれだけの社会的格差の中にあったかということが分かる。一つは近代日本で作り上げられた学歴による格差、そしてもう一つは植民地支配の中で作り上げられた民族間の格差。この二つの格差は密接に絡み合い、結局は台湾人を日本人の下位に位置づけるようなシステムを下支えしているわけだ。

こういった格差があったにも関わらず、嘉義農林野球部では「三民族協和」の理想が実現できていた、というのが映画の感動ポイントかもしれない。だけど、日本統治が作り上げた民族間の格差を、日本人監督が超えたという話に、日本人が感動する、というのはびみょーに倒錯している感もあり。その辺、調べながら、モヤっとしてくる研究員Aだった。

長くなったので、日本統治下の台湾における野球教育についてはまた明日。 ⇒ その2

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2015年01月27日

『天空からの招待状(看見台灣)』その2

遅ればせながら『天空からの招待状(看見台灣)』を観てきた(研究員Bによるレビューはこちら)。金馬獎のドキュメンタリー賞を取ったし、全編空撮の環境保護を訴える映画だって言うし、「教科書的な良い映画」なんだろうなあ。というぼんやりとした予想を胸に向かったシネマート六本木。

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シネマート六本木では、半券2枚貼ると西島秀俊直筆サイン入りの日本語版台本が当たるキャンペーン中!台湾マニアにはあまり需要がなさそうだけど…。

で、映画の感想。「教科書的な良い映画」という予想は、意外にも裏切られた。むしろ、無骨で素朴。時には粗雑とすら言いたくなるような荒々しさ。そもそも監督は、これが初作品。航空カメラマンとしてのキャリアは20年以上あるけど、「物語を組み立てる」という意味では素人。だから、メッセージの伝え方が時に荒っぽい感じなるのも仕方ないと言えば仕方ない。

とは言え、この映画そのものが粗雑だったかというとそうではない。むしろ、他にはない迫力を持った奇跡のような映画、という印象を持った。

この映画を「奇跡」にしているもの。それは、第一に映像の力。航空カメラマンとして長いキャリアを持つ監督が、全身全霊をかけて撮った空撮映像。それは、今まで見たこともないような美しさや凄みをたたえていて、息をのむばかり。遠くから風景を撮るだけでなく、時に動物や人に近づき、その息づかいまでもを伝える迫力。ナレーション以外に言葉がない寡黙な映画なはずが、途中から映像自身が雄弁に語りかけてくる。ここまで饒舌な風景って、なかなか撮ろうとしてもとれるものではない。だから、こんな映像が90分間も眺められるというのは、奇跡のような体験だった。

そして、この映画を「奇跡」にしている二つ目の要素。それはこの映画が完成し、公開され、台湾で昨年第三位の興行成績をあげ、中華社会のアカデミー賞である金馬獎のドキュメンタリー部門で賞を得る、という栄誉に輝いていること。

この映画のテーマは台湾の自然。しかも、ただ美しい自然を映し出すだけでなく、その自然を人間がどのように破壊しているかをも克明に描き出す。もちろん、このことは映画を見る前から知っていたのだけれど、映画を見てその描き方に驚いた。予想以上に生々しい。汚水をたれながす工場、不法投棄の現場、森林を伐採し、リゾート施設を建てる建設現場。見る人が見れば、きっとそれがどこだか分かる。誰がやっているかが分かる。破壊の後ろにいる人間の顔が、くっきりと透けて見える。

もちろん、今までも環境破壊を批判する映画はあった。でも、それはもうちょっと「ふんわり」していた気がする。環境を破壊する愚かな人間。あなたもその1人かも。みたいなざっくりしたメッセージの中では、具体的な企業、経済活動、人が出てくることは少ない。それはスポンサーとか、配給元とか、上映館とか、何とかかんとか、大人の事情があるからかもしれない。そして、それが当たり前だと、私はどこかで信じていたのかもしれない。

この映画では、そんな「大人の事情」などクソ食らえ、と言わんばかりに、環境破壊の現場が映し出される。誰かの利益と快楽につながる経済活動が地球の破壊につながる様子を、「生々しく」映し出す。メッセージとしては、とても痛烈。それどころか、ここに映し出されている方法で利益を得ている人、団体、企業にとっては、とても不都合。でも、そんな風に各方面に石をぶつけまくる内容であるにも関わらず、この映画は無事完成し、公開され、金馬獎を得た。その事実を「奇跡」と呼ばずして何と言おう?

エンディングで、雲の中をゆっくりと飛んでいく映像が出てくる。どこかで見たな、と考えていて「あ、『ナウシカ』だ!」と気づいた。空からの視線、環境破壊をテーマにした筋立て。二つの映画は不思議とシンクロするけれど、日本では近未来の寓話としてメッセージを発するぐらいが関の山。この内容をドキュメンタリーとして公開し、ヒットさせる台湾社会の懐の深さに、心底、感服する。

色んな意味で、日本では作られることがないだろう奇跡のような映画。これを逃したら、他で同じようなものを見る機会は多分ありません。ぜひ大画面で、この世界を体験してみてください。

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2015年01月14日

『天空からの招待状(看見台灣)』その1

12月から公開されていた『天空からの招待状(看見台灣)』、もう1月も半ばが迫る頃ですが、ようやく(まずBが)観てきました。観たのは、西島秀俊による吹き替え版ではなく、呉念真のナレーション+字幕のものです。

まずは基本データを:
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日本公式サイトFacebook(日本)twitter
導演 / 齊柏林
旁白 / 吳念真

予告編はこちら。字幕版を観たので、台湾版の予告編を貼り付けておきます(日本版は西島英俊の声になっているので)。ただ、用いられている映像自体は、台湾版・日本版でほとんど同じだったはず。



ひとことでいうと、入魂の作品。映像の美しさと力強さとインパクトがとにかく印象的で、感嘆しつつも考えさせられながら観てしまう、とっても興味深い映画でした。
ただ、日本タイトルの「招待状」という言葉がイメージさせるものとは、ちょっとギャップがあるかも。もっと無骨で、熱く、ストレートな、製作者の気合いを感じるさせる作品でした。

もうちょっと言うと……事前には「空撮」「台湾の自然」「環境保護の問題提起」ぐらいのイメージをもっていたのですが、実際に観てみると意外な思いをすることになりました。

まず、「空撮」。確かに空撮が駆使された作品なのですが、「空撮」の言葉がイメージするたか〜いところからの撮影だけでは決してなく、結構低いところからの映像もたくさん用いられていました。飛行機からの視点だけでなく、鳥の視点という感じ。地上の人々の表情がわかるくらいのものも多く、超・高所だけでない面白さが結構あって、ちょっと意外。

次に「自然」。確かに、台湾の豊かで美しい自然を本当にたくさん観ることができますが、ただ手つかずの自然だけを重視しているわけではなく、人の営みへの強い関心を製作者側が有していることが感じられる映像も多々ありました(否定的な関心だけでなく、肯定的な関心も)。

そして「環境保護への問題提起」。こういう、映像のクオリティを重視しそこに力が込められているタイプの作品だと、監督など製作者は前に出るのを控えて、変に言葉を重ねずに、映像自体にメッセージを語らせようというスタイルになることが多いと思います。この作品も決して例外ではなく、映像自体の説得力は本当に見事なのですが、ただこの作品の場合、どこか印象が違います。なんというか、製作者ががんがん前に出てくる感じがするのです(笑)。気のせい?

映画が訴える問題提起は、説得的で傾聴すべきものですし、込められたメッセージは力強いものです。でも、映画としてみた場合、全体としてちょっとしつこい(!)と感じました(ええと、急いで付け加えると、決してそれが悪いという意味ではありません)。このしつこさ・クドさこそが、『看見台灣』の大きな特徴のように思います。

安定した仕事を捨てて、多額の借金をしてまで(台湾に一台もなかった)特別なカメラを購入し、この作品を撮ったという齊柏林(チー・ポーリン)監督。それほどまでの気合と入魂によって作られた映画であるためか、表現やメッセージは無骨でストレートなものです。もっと洗練されたアプローチや、ひねりを効かせて表現することもありうるのかもしれませんが、この監督はそうした洗練や工夫やひねりに関心がないのかも??? 編集や構成も荒っぽさを感じさせるときがあり、音楽(何國杰)も素晴らしいのだけどややうるさいときもあったり、よくいえば豪快、悪く言えば雑です。

でも、空撮して得られた映像は本当に見ごたえがあるので、そうした荒っぽさを越えるだけのインパクトがあります。変な喩えですが、漁師が獲ったばかりの魚を船の上でぶつ切りにして盛っただけなのだけど「これが一番旨い!」みたいな感じ(笑)。『看見台灣』は、漁師料理みたいだなあ(!)と思って観ていました。

そうした、ちょっと押し付けがましい感じや、洗練と工夫の不足みたいな点も含めて、トータルに興味深いと思えるかどうかが分かれ目のように思います。私自身にとっては、その点も含めて、むしろ好印象でした。無骨で熱くストレートで、製作者の気合を感じさせるぐらいのところが、映像は美しいけど何も伝わってこないタイプの作品とは正反対で、おもしろかったです。

これから観る方には、ぜひ大きいスクリーンで観てほしいです。映像の素晴らしさも断然感じられると思いますし、加えて監督がそこで熱く語っているようなちょっと鬱陶しい感じ(笑)も一層強く感じられるので。

吳念真のナレーションは落ち着いていて、過剰でもなく、押し付けがましくもなく、よかったと思います。西島秀俊の吹き替えも悪くないのかもしれませんや、地名や数字のデータも出てくるので、個人的には字幕でOKでした。音楽の中では、林慶台(『セデック・バレ』『狼が羊に恋をするとき』)と陳苡萊が歌う「物換星移」が印象的でした。あと最後の台灣原聲童聲合唱團も!

ひとつだけ、別の話を付け加えて終わりにします。この映画を観て痛感したのは、視覚に訴えることの力です。自覚されにくい問題を、目に見える形で提示することのインパクトはやはり大きいです。そして、逆に言えば、自然や環境をめぐる問題であっても、視覚に訴えられない・訴えにくい場合は、大きな困難をもつことになるのだとも。例えば大気汚染とか(これは目に見えるかも?)、放射能とか。映画で描かれていたことも、描かれていなかったことも、これから少しずつ考えを広げていこうと思える作品でした。

※ 「その2」(研究員Aによるレビュー)は、こちらです。ぜひ併読を!

posted by 研究員B at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする