2015年04月21日

台湾シネマ・コレクション2015作品概観・3

「台湾シネマ・コレクション2015」上映作品概観・その3

シネマート六本木で現在開催中の、「台湾シネマ・コレクション2015」。たくさんの映画が上映されますが、その中には、当ブログでレビューを書いているものも結構あります。上映される旧作ラインナップの再確認を兼ねて、過去の当ブログでのレビューをまとめて紹介するエントリのシリーズ、今回は最終回・「その3」。

「台湾シネマ・コレクション2015」では、旧作は5つのグループに分けられています(「台湾発! 青春グラフィティ」「ウェイ・ダーション(魏徳聖)の世界」「みんな大好き? グイ・ルンメイ」「名作コレクション」「台湾シネマ・コレクション2008アンコール」)。この「その3」では、まだ取り上げていなかった「みんな大好き? グイ・ルンメイ」と「名作コレクション」の諸作品を紹介しようと思います。
ちなみに、「その1」はこちら、「その2」はこちらをどうぞ。


【みんな大好き? グイ・ルンメイ】

●『言えない秘密』

ご存じジェイ・チョウの作品ですが、実は未見です。すみません! いやー、なんだか足が向かないまま、現在に至っています…。意外に(失礼)良作という評判も耳にしているのですが。


●『遠い道のり(最遙遠的距離)』
「2008」の紹介ページ中文wikipedia日本語wikipedia

これ、実は「その2」で取り上げた「台湾シネマ・コレクション2008」で上映された作品。グイ・ルンメイ出演ということで、これだけ別のグループに入っています。
「音」への着目など、工夫もあり丁寧に作られた作品だと思うけど、個人的には若干ぼんやり感があり、今ひとつハマれなかった記憶が。ヨーロッパ(ベネチア)で評価されたのはわかる気がするけど。
監督の林靖傑は、短編やドキュメンタリーも撮っている人ですが、この『遠い道のり』以来の久々の長編がこの6月に台湾で公開予定です。題して《愛琳娜》公式ブログ)。『遠い道のり』と全然違う! 「一個火雞圍繞著的女子,以小提琴為武器,化身女俠」って! 陳怡蓉がなんかすごい(笑)。気になります。


●『台北カフェ・ストーリー(第36個故事)』

速報レビュー(研究員B)
速報レビュー(研究員A)
「その1」(研究員Bのレビュー)
「その2」(研究員Aのレビュー)
今でもたまに上映企画がある佳作。深みがある作品とはいえないかもしれないけど、かといって決して浅はかにもならず、表面的になりかねないものを、押し付けがましくなく、おしゃれに、巧みにまとめあげています。とても上手に何かを切り取っていて、よくできた、楽しめる作品です。カフェへの幻想も、そこからの自由も描かれているのがまたよし。まだの方はぜひ一度どうぞ。レビューにも書いたけど、姉妹それぞれの不機嫌な顔がすばらしいです(笑)。


●『GF*BF(女朋友。男朋友)』

「その1」(研究員Bのレビュー)
「その2」(研究員Aのレビュー)
「台南女中の“短パン・アピール”」(研究員Bによる背景ネタ)
トップクオリティの作品であることは、もう本当に文句なし。未見ならぜひ一度ご覧あれ。しかし、初めて観た直後は盛り上がって「その1」のようなレビューを書いた自分も、1年後の一般公開の際にもう一度観て感じたのは、むしろ研究員Aの「その2」のような、「むむむ…」という思いに近いものでした。でもやはり、映画としての力の確かさは間違いなし。2度目に観たときに一番思ったのは、「張書豪がすばらしすぎ。彼が演じていた許神龍のキラキラさは最高」ということ。いやほんとに最高です。


【名作コレクション】

●『花蓮の夏(盛夏光年)』
中文wikipedia日本語wikipedia第16回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭・紹介ページ

タイミングが合わず、実は未見のままになっている作品。CS放送時に録画したけど、できれば劇場でと思って観ないままでいたら、ついに今回チャンスが! 観ます!


●『僕の恋、彼の秘密(十七歲的天空)』
中文wikipedia日本語wikipedia

実はこれも、未見のままになっている作品。今回ぜひ!


●『花様〜たゆたう想い〜』
日本公式サイト

いやあ、これも結局未見なんですよね。どこか不安がぬぐいがたくて…(すみません!)。「その2」で紹介した『Tattoo−刺青』の周美玲(ゼロ・チョウ)監督の作品。


●『光にふれる(逆光飛翔)』

速報レビュー(研究員B)
文句なしの良作。ネタとしては、陳腐さや平板さに陥る危険性がいっぱいあるのに、実にさらりとそうした事態を避けて、少しだけ勇気をもって一歩を踏み出すことを、「説教くさくもならず破綻もせずいやらしくもならず、普遍的で、静かに、でもとても響いてくる」(レビューより)形で描いているのは、本当に見事だと思います。もしも未見ならぜひぜひどうぞ! 予告編(日本版)を貼り付けておきます。




●『恋恋風塵(戀戀風塵)』

侯孝賢監督の名作ですが、今回の企画ではなんとなく浮いている感あり(!)。研究員Aが昔から好きな作品ですが、自分はなかなか機会がなく、ようやく昨年初めて観ることができました。そのときのコメントは:

「『恋恋風塵』観ました。十分の風景の美しさ、饒舌さを排した描かれ方、落ち着いたカメラワークにただただ感心。阿遠も阿雲ももっとしゃべらんかい、という思いがつい湧いてしまうが(笑)、作品としての悠然としたトータルな成り立ち感は相当なものでした。」(twitter

その際に検索して見つけた、おそらく1980年代終わりの日本公開時のものと思われる予告編を貼り付けておきます。なんだか感慨深い。



高画質の方がよければ、デジタルリマスター版のこちらの予告編を:




「台湾シネマ・コレクション2015」で上映される旧作ラインナップは、以上でおしまい。これだけの企画は今後なかなかないと思うので、シネマートさんには感謝しつつ、改めて閉館に悲しさを感じたり…。実際にはごく一部しか観に行けないかもしれないけど、楽しみに足を運ぼうと思います。

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2015年04月19日

台湾シネマ・コレクション2015作品概観・2

「台湾シネマ・コレクション2015」上映作品概観・その2

シネマート六本木で現在開催中の、「台湾シネマ・コレクション2015」。たくさんの映画が上映されますが、その中には、当ブログでレビューを書いているものも結構あります。上映される旧作ラインナップの再確認を兼ねて、過去の当ブログでのレビューをまとめて紹介するエントリのシリーズ、今回は「その2」。

「台湾シネマ・コレクション2015」では、旧作は5つのグループに分けられています(「台湾発! 青春グラフィティ」「ウェイ・ダーション(魏徳聖)の世界」「みんな大好き?グイ・ルンメイ」「名作コレクション」「台湾シネマ・コレクション2008アンコール」)。「その1」では、このうち「台湾発! 青春グラフィティ」「ウェイ・ダーション(魏徳聖)の世界」について取り上げましたが、この「その2」では、「台湾シネマ・コレクション2008アンコール」の諸作品を紹介しようと思います。

今から7年前(もうそんな前!)、シネマート六本木で「台湾シネマ・コレクション2008」という上映企画が行われました。まだ当ブログを始める前でしたが、台湾映画を集中的に観ることができた最初の機会で、おもしろかった作品もそうでなかったものも(!)、個人的にはとても印象に残っています。全部で8作品が上映されましたが、そのうち7本が今回の「2015」でも上映されます。「台湾シネマ・コレクション2008アンコール」には6本が含まれていて(残り1本は別のグループ)、以下順にご紹介。


【台湾シネマ・コレクション2008アンコール】

●『練習曲』
「2008」の紹介ページ中文wikipedia

上述のとおり、当時はまだ当ブログは始めていなかったので、残念ながらレビューはなし。でも文句なしにとっても印象的な作品で、これ以降、台湾を自転車などで一周する「環島」が台湾でブームになったのはよく知られています。めぐり会う人たちが、微妙に個性的でそこもまたよし。単なる台湾一周というだけでない経験として伝わり、じんわりと来るものがあります。お勧め!

主演の東明相は、今回の「2015」で初上映される『EXIT(迴光奏鳴曲)』にも出演しています。『練習曲』は彼の魅力も大きいのですが、細かいサブキャラの面子もなかなか(Saya、K ONEのDarren、吳念真、胡コ夫などなど)。予告編もどうぞ。




●『Tattoo−刺青』
「2008」の紹介ページ中文wikipedia日本語wikipedia

2007年に東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でも上映された作品(紹介ページ)。映像はきれいだし、出演者も華やかだし、921地震という現実の出来事との関連もあったり…でしたが、最終的に物語として特に印象に残るものだったかというと、やや微妙…。でも、楊丞琳(レイニー・ヤン)が歌うテーマソング「小茉莉」(Youtube)は、彼女のいつもの雰囲気と違うテイストの曲で、結構気に入っていました。今回調べてみて、なんと甜梅號のギター昆蟲白や現The Verseの陳建騏が製作に関わっていたと知って、かなりびっくり、そして納得。


●『ウェスト・ゲートNo.6(六號出口)』
「2008」の紹介ページ中文wikipedia

研究員Bのレビュー
映画への評価は上記レビューをご参照。ノリと勢い優先で、正直言って作品としての完成度は高いとはいえない…。でも、こういう(?)エディ・ポンを観られるのは貴重。というか、イーサン・ルアンにせよ張翰にせよ、貴重と言えば貴重かも。あと主題曲は蘇打香u小情歌」。蘇打高ェ今ぐらいにビッグになるとは当時は全然思わなかった…。個人的には、阿霈樂團のライブパフォーマンスが観られる点で貴重な作品。


●『ビバ!監督人生!!(情非得己之生存之道)』
「2008」の紹介ページ公式ブログ

研究員Aのレビュー
これも、映画への評価は上記レビューをご参照。これもなあ、ニウ・チェンザー監督の露悪的な描き方をどこまで許容できるか、でしょうか。うーん。


●『DNAがアイ・ラブ・ユー(基因決定我愛你)』
「2008」の紹介ページ

未見です。「台湾シネマ・コレクション2008」では、タイミング合わずこの作品は見逃してしまいました。なのでコメントなし。李芸嬋(ロビン・リー)監督、実はこれの前の作品の『靴に恋する人魚(人魚朵朵)』も結局未見のままです(むしろこっちを今回上映してほしかったかも)。


●『午後3時の初恋(沉睡的青春)』
「2008」の紹介ページ中文wikipedia

レビューはないけど、実は「台湾シネマ・コレクション2008」で観た中で、当研究所で『練習曲』と並び断然高評価だった作品。平渓線の風景、水と湿度、魅力的な俳優陣(なんといっても張孝全 ジョセフ・チャン!)、時計や診療所など、アイテムや場所がたたえる雰囲気。素材も簡単ではなかったと思うけど、巧みに構成されていて、掘り出し物に出会った気分で、非常に満足度が高かったのを思い出します。本気でお勧め。鄭芬芬監督のその後の作品『聽說』が、今に至るまで未見のままになっていて、残念。どこかで上映しないものか。

というわけで、これも予告編を。




「台湾シネマ・コレクション2015」、2つエントリを書き終えてもまだ上映作品があります。続きは追って!

posted by 研究員B at 23:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月18日

台湾シネマ・コレクション2015作品概観・1

「台湾シネマ・コレクション2015」上映作品概観・その1

シネマート六本木が6月の閉館を前に、「劇終」と題してさまざまな特集上映企画の実施を発表しています。その中には、本日4月18日から5月8日まで開催される「台湾シネマ・コレクション2015」もあります。シネマート六本木の閉館と「引き換え」という形での企画というのはあまりに残念ですが、台湾映画がまとまって上映されること自体はうれしい限りで、これほどの本数が上映される機会はめったにないのも事実。実際にはそんなにたくさんの本数を観られるわけではないけど(うう)、でも文句なしの注目企画です。

「台湾シネマ・コレクション2015」で上映される作品のうち、旧作の中には、当ブログでレビューを書いているものも結構あります。そこで今回は、開催を機に、旧作ラインナップの再確認を兼ねて、過去の当ブログでのレビューをまとめて紹介しようと思います。

「台湾シネマ・コレクション2015」では、旧作は「台湾発! 青春グラフィティ」「ウェイ・ダーション(魏徳聖)の世界」「みんな大好き?グイ・ルンメイ」「名作コレクション」「台湾シネマ・コレクション2008アンコール」という5つのグループに便宜上(?)分けられていますが、今回はまず、そのうちの「台湾発! 青春グラフィティ」「ウェイ・ダーション(魏徳聖)の世界」について。


【台湾発! 青春グラフィティ】

●『九月に降る風』

「その1」(研究員Bのレビュー)
「その2」(研究員Aのレビュー)
これ、お勧めです! 非常に「残酷」(研究員Aの言葉)かもしれないけど、でも非常に魅力的な作品。まだの方は、この機会にぜひ。予告編も貼っちゃいます。




●『モンガに散る』

「その1」(研究員Bのレビュー)
「その2」(研究員Aのレビュー)
「その3」(小ネタ情報各種)
「その4」(研究員A(の友人Yさん)によるツッコミ各種)
まともに観ると、研究員A・Bともに評価は高くないのだけど(!)、でもエンタメ的なネタは盛りだくさんの、どこか憎めない(?)作品。未見なら一度はどうぞ。


●『あの頃、君を追いかけた』

「その1」(研究員Aのレビュー)
「その2」(研究員Bのレビュー)
「その3」(予告編などの雑情報)
「その4」(主要登場人物についての情報、本物の「沈佳宜」)
「その5」(脇役・彰化・エアサプライなど雑情報)
今見ると、こんなにエントリを書いていたのか(笑)と思うけど、これもまた憎めない作品。自分たちはハマりきれなかったけど、でも熱狂を生んだのは納得できる、そしてやはり画期的だった作品。これも未見ならぜひ一度。


【ウェイ・ダーション(魏徳聖)の世界】

●『海角七号 君想う、国境の南』

「その1」(研究員Bのレビュー)
「その2」(研究員Aのレビュー)
ツッコミどころの多さでは史上最強レベル、映画としてはまさに「難あり」(研究員A)。でもでも、実はAもBも複数回観てしまった作品。「疲れた時に、励まされたい時に、頭を空っぽにしたい時に、ぜひどうぞ」(研究員A)。


●『セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋』

「第一部:太陽旗」(研究員Bのレビュー)
「第二部:虹の橋」(研究員Bのレビュー)
娯楽大作。でも正直言って、自分(研究員B)にとってはあまりフィットしない作品でした…。今回は上映されないけど、ドキュメンタリー『セデック・バレの真実(餘生 賽コ克.巴萊)』は強力にお勧めなんですが。


●『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』

「植民地台湾という観点から『KANO』を考えてみた その1」(研究員A)
「植民地台湾という観点から『KANO』を考えてみた その2」(研究員A)
「その3」(研究員Bのレビュー)
「爽やか感動青春物語を支える植民地という現実。このギャップを知ってこそ感動できる面と、逆に感動できなくなる面がある」、という研究員Aの「その1」「その2」は、映画を観た方はぜひどうぞ。自分(研究員B)にとっては、楽しめたけどこれまたハマりきれませんでした…。


「台湾シネマ・コレクション2015」、まだまだ上映作品がありますが、他の作品についてはまた別のエントリで!


posted by 研究員B at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月08日

『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』3

『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』その3

観てからかな〜り時間が経ってしまったけど、レビュー書きます。『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』。今回は研究員Bのレビューです。
「その3」としましたが、「その1」「その2」にあたるのは、通常のレビューとはちょっと違うけど、研究員Aが書いた「植民地台湾という観点から『KANO』を考えてみた その1」「同 その2」です。ぜひそちらもご一読を!

まずは基本情報を:

『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』
導演 / Umin Boya (馬志翔)
演員 / 永P正敏、大澤隆夫、坂井真紀、伊川東吾、曹佑寧、葉星辰、張弘邑、鐘硯誠、謝竣晟、謝竣u、陳勁宏、大倉裕真、山室光太朗、飯田のえる、鄭秉宏、蔡佑梵、魏祈安、陳永欣、周俊豪、于卉喬 (喬喬)、連奕g、游安順
wikipedia(中文)臺灣電影後浪潮果子電影Facebook
日本公式サイト

予告編はこちら。中文版を貼っておきます。といっても日本語版・中文字幕版みたいなものですが。




観た直後にツイートしたのは、以下のような内容でした:

「『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』、観ました!う〜ん、奥行きを描くこだわりは見事なまでに皆無で、潔い(?)ソフトスポ根なエンタメ作品。野球のシーンに時間をいっぱい割くため、野球への関心が少なめの方はちょっと退屈するかも?(そんな人は観に来ないか)」

本作の場合、レビューといっても、以上のコメントに尽きるのが正直なところ。でもさすがにそれでは…というわけで、以下敷衍しようと思います。

映画としてみた場合、本作はただひたすらシンプルなエンタメ作品。いろいろ読み込める部分もないわけではないけど、深みのある何かを込めることがめざされた作品では基本的にない(少なくとも、そうしたことの優先度は高くない)と感じました。意図的であったか、「天然」であったかは定かではありませんが、何にこだわり、何にこだわらないかは明確だったと思います。

では、こだわっていたのは何か。それは間違いなく「野球」という点です。キャスティングにあたって野球経験があることを必須条件にしたとのことですが、かといって「リアルさ」が最重要視されたというわけでもなさそうです。こだわっていたのは、「野球シーン」を見ごたえのあるものにすることではないでしょうか。それも、リアルな野球の場面の再現というよりも、古典的な野球マンガのような、多少の戯画化もあるくらいの、エンタメ感に満ちた「野球シーン」です。映画の中で多くの時間が費やされる野球シーンの数々は、その長さ(!)や、球場のも含め、製作側の思い入れやこだわりを強く感じさせるものでした。『セデック・バレ』の戦闘シーンがそうであったのと同じように。

他方で、そうしたこだわりが感じられなかった点もありました。それは例えば、人物の造形や、人物の思いの複雑さや奥行きの描写です。近藤監督はともかく、一人ひとりの選手の思いの葛藤や機微が丁寧に描かれていたようには思えませんでした。アキラについてはまだ描き込みがあったけど、他の選手たちはかなり十把一絡げ状態(?)だったと思います。特に、一人ひとりの選手が、他の選手をどう見ていたのかについては本当に描かれてなく、その点は残念。

日本人と、漢人と、「蕃人」と…と言うのなら、日本人の選手は漢人の選手をどう見ていたのか、原住民の選手からはどうなのかなど、選手間の視線の交錯がどうだったのかが気になったのですが、そこを立体的に描くことにチャレンジはされていませんでした。異なる背景のメンバーによる混成チームということが、いくつかのポイントで強調されながらも、実際の「混成」の描かれ方は、個々の特徴が強調されることもなく均質になってしまっていたように思います。おかげで、特に嘉農が勝ち進んでからは、単にチームワークのいいチームだなあという感想(!)に終わりそうな面があったと思います。仲良し集団っぽさに、いかに戦う集団っぽさが加わっていったのか(その過程が、後者が前者を単に駆逐していくのではない、選手のメンタリティの変化によるものだったなら、具体的にどういう過程だったのか、その過程で選手に葛藤がなかったのか)などは、十分には描かれずじまいでした。

というわけで、エンタメ作品としては、シンプルにとっても楽しめる仕上がりだったと思います。しかし、あれこれ気になり始めると、どんどんいろんなことが気になってしまう…というところは否めず、面白かったけど、良くも悪くもやっぱりどこか軽いという印象でした。いや、いろいろ展開可能なポイントはあったと思うのです。研究員Aが描いたような学校間の関係やそこでの野球がもつ意味とか、北海道という、台湾とは違う意味でまたマージナルなところから甲子園に出場した選手の視点とか、嘉義代表であるというアイデンティティと、台湾代表であるというアイデンティティの重なりとずれとか。でもそういうところは彫り込まれないんですよね…。そういう意味で、自分はこの作品にはそれほど盛り上がりきれませんでした。

というわけで、レビューは以上。以下、参考までに、事実関係についての再確認をいくつか。まず、もう多々指摘されていると思いますが、八田與一が携わった嘉南大圳の完成は本当は1930年のことで、嘉農が甲子園で活躍した年(1931年)とは同じ年ではありませんが、映画ではタイミングがぴたりと重なるように脚色されていました。

あと、甲子園(当時は「全島中等學校野球大會」)の予選というと、いまの感覚だと、県内の多くの高校が参加して競うというイメージがあるかもしれませんが、この1931年の場合、台湾代表を競ったのは全部でわずか11校でした(嘉農は4勝して優勝)。ちなみにこの11校のリストは以下の通り(括弧の中は現在の校名)。このデータはあちこちに掲載されているけど、コンパクトにまとめていたのは、個人ブログですがここ。こう並べると、エリート校が多い中で、嘉農はちょっとタイプが違う学校の一つであることがよくわかります(研究員Aのエントリも参照:これこれ)。

台北一中(臺北市立建國高級中學)、台北商(國立臺北商業技術學院)、台北工(國立臺北科技大學)、台北二師(國立臺北教育大學)
台中一中(國立臺中第一高級中學)、台中二中(國立臺中第二高級中學)、台中商(國立臺中科技大學)
嘉義中(國立嘉義高級中學)、嘉義農林(國立嘉義大學)
台南一中(國立臺南第二高級中學)
高雄中(高雄市立高雄高級中學)

甲子園の出場校も、全部で22校でした。2回戦から出場した嘉農は、3勝して決勝に進出しています。規模の面では、地方大会だけでなく甲子園もまた、現在とはかなり違ったようです。こういう風に、事実を下敷きにしている物語ではありますが、実際に事実が描かれているわけでもなく、事実と言ってもいろんな点で今と異なる文脈のもとでの出来事だったことは、改めて頭に入れておいてもいいかも。

P.S. マンガ版の『KANO 1931海の向こうの甲子園』(魏徳聖・陳嘉蔚・陳小雅,宇野幸一・阪本佳代訳,翔泳社,2014)という本があります。映画のストーリーのマンガ版なのですが、読んでいるとマンガ版のこっちが原作で、それを忠実に映画化したのかと思えてきます(!)。この本には、巻末付録で文章がいくつか収録されていますが、その中の謝仕淵の解説「KANO 台湾野球の原点」は、その内容も、日本の植民地であったことをめぐる力加減も、興味深いものでした。この本、各選手のプロフィールやその後についても詳しく紹介しており、また映画で描かれている嘉農の試合の実際のスコアなど、データ面も押さえていて、その点もファンには注目かと。


posted by 研究員B at 23:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月21日

植民地台湾という観点からKANOを考える・2

植民地台湾という観点から『KANO』を考えてみた その2

『KANO 1931海の向こうの甲子園』を植民地台湾という観点から考えてみる、の2回目。1回目のエントリはこちら。今日は、台湾統治下における野球教育が意味することについて。

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さて、台湾における野球。当然、野球はもともと台湾で親しまれていたスポーツではない。というか、「スポーツを楽しむ」という土壌自体、台湾にはなかった。でも、これは別に台湾に特殊なことではない。江戸時代の日本にも、余暇としてスポーツを楽しむという概念はない。身体と共に精神を鍛える武道は、楽しみというよりむしろ修練。野球をどのようにプレーするかのノウハウはもとより、スポーツをどのように楽しむかという概念それ自体を、日本は明治以降、西洋から学んだことになる。

だから野球を伝える前に、運動やスポーツの新しい概念を日本は台湾に伝えた。ただ、スポーツを単に楽しむものとして日本が台湾に伝えたかというと、ちょっと違う。今で言う運動、スポーツという概念を伝える際に大きな役割を果たしたのは、公学校(台湾人向けの小学校)での「体操」の授業。その目的は、健康的な精神や身体を育むと同時に規律を教え込むことにもあったようだ(この辺について詳しくは、林勝龍「日本統治下台湾における武士道野球の受容と展開」を参照)。

規律? と聞いてもぴんと来ない人は、自分が体育の授業で受けた教育を思い返してみると分かると思う。集合、整列、前ならえ、行進…。そこで教えられているのは団体行動の基本。指導者の命令を聞き、その通りに集団で動く。競技を学ぶ時も、ルールやプレイの仕方そのものに加えて、ズルしないとか、負けてもふてくされないとか、そういう集団の中での決まりごとが身体に叩き込まれる。そもそも学校生活って、こういった集団のルールを学ぶ場所として重要なわけだが、体育の授業ってそれを身体に覚えさせるという意味では一番、効果的なのかもしれない。

植民地統治下という特殊な環境の中では、体育のこういった側面はとりわけ重要になる。指導者の言うことを聞いて、その通りに動く集団を創り出すことは統治の要。当時の教育行政に携わった人や教育現場にいた人が、どれだけこのことを意識していたかは分からない。だけど、新しい運動・スポーツの概念を伝えることが、新しい規律を人々の身体に叩き込む効果を持ったことは確かだろう。

だから、台湾に野球が伝わったのも、こういった「運動」「スポーツ」をめぐる文脈の延長上にあることは意識しておいても良い気がする。もちろん、こういった統治側の意図が台湾野球の全てと言ってしまうのも乱暴だろう。競技のワクワク感、楽しさも野球が普及する要因の一つであったとは思う。でも、そういった楽しみも、ワクワク感も、植民地という「場」に制約されていた面があったことは確か。前にあげた林論文を読むと、原住民教化に野球が使われた例もあったようだし(第三章「原住民アミ族の「能高団」チーム」参照)。

スポーツは国境を越えると、私たちは信じている。スポーツマンシップは言葉を超えると思っている。だから、みんな、オリンピックやワールドカップに熱狂するし、感動するのだろう。でも、植民地下でのスポーツマンシップが国境を越えていたのかは微妙。上の人間の言うこと聞き、みんなで協力し合い、勝手な行動はとらない。ルールに従う。負けても受け入れる。そういったスポーツマンシップは普遍的であると同時に、統治者にとって好都合。日本の高校野球に見られる上下関係、チームプレイ、精神主義は、とりわけ皇民教育と親和性が高い。だとすると、甲子園に出る「三民族協和」のチームは、日本式チームプレイを身に付けた植民地の優等生、という見方も可能になる。そしてそこに日本人の観客が喝采を送るのは…、やっぱりちょっと倒錯してる気がしなくもない。

もちろん、そんなごたくは差し置いて、嘉農ナインは正々堂々と、まっすぐに戦っている。そのことに感動するのは自然なことだと思う。でも、それと同時に、統治者側に連なる甲子園の観客が、更にその観客に連なる自分が、甲子園の外側にある「格差」や「教化」の現実を忘れ、ただただ喝采し、感動の涙を流しておしまいにするのは驕りじゃないかしら。『KANO』を楽しみながらも、そんなことを思って正直、複雑な気持ちになる。

たぶん、近藤監督にこういった統治者側の意識はなかったと思う。彼は良い意味でも、悪い意味でも野球バカで、野球以外のことは考えていない。逆に言うと、野球に夢中だったからこそ、彼は当時の常識だった日本人と台湾人の格差を軽々と飛び越えることができたのだ。ただ、野球が終われば、部員たちはまた格差の世界に帰っていく。それは当然のことだから、当事者たちは意識しない。でも、私たちは知っている。甲子園で実現する「民族の協和」は一瞬の夢に過ぎないからこそ、彼らの汗と涙は感動的。一方で、そのあまりの儚さに、むしろ痛切な悲哀を私は感じてしまった。

『KANO』は娯楽大作だし、感動的な話でもあると思う。でも、感動のポイントをどこに持ってくるかで、映画の印象も大きく変わる。望むと望まないとに関わらず、私は「日本人」としてこの映画に向かい合わねばならない。だから、これはただの感動物語として捉えられないな、という痛みが最後まで残った。こういった私の感覚・見方を他の人に強要するつもりはない。だけど、映画の外側にあるはずの植民地の状況に、少なくとも日本人の観客としてはもう少し注意を払っても良いのかなと思う。でないと、格差を当然のものとして受け入れながら「三民族協和」に都合よく喝采を送る当時の観客と同じことを、また自分たちもしないとは限らないから。



レビューは以上。ちょっとだけ補足を加えると、日本統治期台湾の野球についてはちゃんとした研究が出ているので、興味を持った方にはそちらもお勧め。私は、林勝龍「日本統治下台湾における武士道野球の受容と展開」謝佳芬「台灣棒球運動之研究(1920〜1945年)」を拾い読みしたけど、どっちもとっても面白かった。素晴らしいことにどっちもネットでダウンロードできる。それでも時間のない方は、林論文の第三章「原住民アミ族の「能高団」チーム」が抜群に面白いので、そこだけでもどうぞ。嘉農を見る目が確実に変わります!


posted by 研究員A at 23:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする