2010年08月15日

台湾語・台湾華語の教材情報6 終わってみての雑感編

「台湾語・台湾華語の教材情報」シリーズ。本日は「終わってみての雑感編」。今回のシリーズ執筆のためにリサーチする中で、いろいろと考えたことを書きます。今まで書いた「きっかけ編」「台湾語教材編」「台湾華語教材編」「辞書編」「歴史資料編」などとあわせてご覧ください。

さて、今回台湾語・台湾華語の教材を調べてみて、まず感じたこと。こんなに沢山出てるんだ! 「きっかけ編」でも書いたけど、研究員Aがその昔、台湾語を学んでいた頃、市販の教材なんてほとんど見当たらなかった。繁体字なんて、目もくれられなかった。そもそも台湾という国に、人はほとんど目を向けていなかった。中国語を学んでいた私のような人間ですら、「台湾て…えーと?」みたいな感じだったのだ。

それが、戒厳令が解除され、近場の海外旅行先として人気が高まり、お茶や食べ物に興味が向けられるようになり、あまつさえドラマが日本語字幕で放映され、台湾出身のアイドルに熱心なファンがつくようになり…。いやもう、この現象自体が隔世の感。しかも、それと共に中国語・台湾語への関心も高まっているなんてことがあろうとは!なんというか、私の知っていた台湾とは全く違う台湾がそこにある感じ。まさに新時代到来。そのことがうまく認識できていない自分自身のオババさ加減を思い知りました。がっくし。

で、話はここで終わるかというとそうではない。「歴史資料編」でも紹介したけど、台湾語教材をリサーチしている時に、図書館でいくつか古い資料にめぐりあった。戦前に発行された台湾語教材。調べてみると、他にもぽろぽろあるみたい。あまり気合を入れずに探してもこれだけ出てくるってことは、けっこう出版されてたんだろうなあ。へえ。そう思った時に、はたと気付く。

私は、台湾語・台湾華語ブームは最近の新しい現象だと思っていた。そして、そのことにシンプルに衝撃を受けていた。でも、それは本当のところ、新しい現象ではないんじゃないだろうか。だって、明治〜昭和前半までの時代に、台湾語がこれだけ熱心に学ばれていた時代がある。今のブームは、決して「初めて」のものではないのだ。

植民地期に支配国が被支配国の研究を積極的に行う、というのはよくある現象。実際、台湾研究の蓄積が最も厚いのは日本植民地期ともよく言われる。戦前に発行された様々な台湾語教材を見ていると、確かにちょっと納得。私が見た限られた資料の中でも、確実に研究蓄積は積み重なり、台湾語への理解が深まっていくのが分かったから。

でも、何故これほどに台湾語が研究されたのか? 「序」なんかを見ていて印象的だったのは、警察関係の人が多くコメントを寄せていること。たとえば、1年で台湾語を習得というコンセプトで書かれた 『台湾語之研究』の著者は警察官。そして、序には台北州警察部長が以下のような言葉を寄せている。

台湾――殊に地方等にあって善く意思疎通をはかり、凡ての事情に通じようとするには、如何にしても台湾語を自由に操るのでなければ目的を達し得ない。
熊谷良正 『台湾語之研究』 (台北:台湾日々新報社、1931年)

台湾で働く日本人警察官にとって、現地で暮らす台湾人との意思疎通は必要不可欠。だから台湾語は命綱みたいなものだったに違いない。台湾語を学ぶという動機には、今よりよっぽど切実なものがあったのだ。

でもそうやって台湾語を学び、台湾の人々を理解するのは何故か。かなり早い段階で出版された『新撰実用 日台会話自在』の序で、警視の肩書きを持つ人物が以下のように書いている。

漢民族の旧慣は依然として思想界を横流し、同化の機又た遅々として進まず。畢竟是れ思想交換の用具たる言語の共通なきが為めなり。盖し本島にして既に日本帝国の一部たる以上は、台湾語も亦帝国国語の一種たるに相違なしと雖も、一国民の間に、全く組織を異にせる二個以上の言語の存在するは、国民の恥辱にして、彼の白耳義(ベルギー)の如き小弱国にあらざる以上は、決して忍び得べきものにあらず。故に吾人は常に台湾語が、将来全く日本語の内に吸収し去らるるの日あるべきを期せざるべからざるなり。
川合真永 『新撰実用 日台会話自在』 (台北:台湾語通信研究会、1912年)

一つの国の中に言語が複数あるのは「国民の恥辱」である。だから台湾語は日本語に吸収されなければいけない。そのために、今、台湾語を学ぶ必要がある。って、この論理、なんだか変だと思うのは私だけでしょうか。台湾語をなくすために、台湾語を習得しなければいけない、ってどういうことよ?

もちろん、台湾語教材作成に関わった人のすべてが、こう考えていたわけではないと思う。特に、執筆者には、意思疎通がうまくいってないのを何とかしないと、という使命感にかられている人が多い気がした。でも序を寄せるような「偉いさん」には、上記のような「同化」の論理をちらつかせる人がいる。そして、この二種類の人達はどこかで確実に結びついている。だから、単純に現場は頑張ったけど、上は馬鹿だった、という話にもならない。なんだかややこしい。でも、それが「植民地」というものの構造の一つなんじゃないかと思う。

今の台湾語のブーム。もちろんこの時とはまったく状況が違う。でも「台湾語」と日本の結びつきは、実は古くて、すごく太い。そしてそのことを、人はきれいさっぱり忘れている。書庫に眠るたくさんの台湾語教材たちと今、出版されている台湾語教材。過去に台湾へ向けられた関心と今の台湾ブーム。これらはそれぞれ全く別のものなんだろうか。だとしたら、過去のあの重厚な研究蓄積は、熱い関心は、どこへ行ってしまったんだろう。どうして私は、私達は、そんなことがあったということすら、きれいに忘れているんだろう。なんだか記憶喪失みたい。それって何を意味するんだろう。

答えは当然出ない。でも「台湾」というものに向かいあっていると、どこかで出くわす問い。現代の台湾語・台湾華語への関心の高まりに驚きを覚えたことからスタートして、戻ってきたのがこの問い。奇しくも今日は8月15日。65年前、台湾が「日本」でなくなることが決定的となった日。「おきらく」は「おきらく」なりに、そのことの意味を考えてみたりしている。
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posted by 研究員A at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 語学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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